月日の経つのは早いもので、親父が亡くなってから7年近くになるんですね。
昨日は親父の七回忌の法事でした。
改めてこういう節目を迎えると、改めていろいろ考えます。
そういった意味でも法事って重要なのかもしれません。
振り返る親父との関係
私と親父の関係は、普通の親子関係とはちょっと違うと思っています。
ちなみに「普通の親子関係」ってくくりは、仕事が別って意味なんですが。
仕事で長年一緒に働いていると、親子関係より上下関係の意識が強くなります。
まあとってもとっても厳しい社長でしたから、そうでなくても男の親子は仲悪くなりがちなのに、それはそれは仲悪くなりますよね♡
ただしメリットもたくさんありました。
私は誰かに文句を言われるのが異常に嫌いです♡
まあ「親父にあまりに怒鳴られ過ぎて、自分の文句言われるキャパを越えた」なんて言ってましたが、人様に怒られないよう努力をすることができましたし、それはまた親父に対しても同じでした。
極端に言えば、自分の仕事をする上での最大の目的は「親父に文句を言わせない」なんて少し歪んだ側面もあったくらい。
でもそうやって長く仕事を一緒にしていると、自分の中で親父の傾向と対策が出来上がります。
すると今度は、親父の考えが手に取るように分かるようになるのです。
だってまず想定しますから。こういった時に、親父はどう判断するか?じゃあこうしよう、って。
だから他の親子関係より、かなり濃い時間を過ごしたと思いますよ。
でも不思議とそういった感情も時の経過と共に薄らぎます。
また、日常を共にしていた存在が突如いなくなるってご経験された方は分かると思いますが、実感するのに時間が掛かります。
むしろちょっと離れた関係の方が実感するのが早いんですよね。だから周り人の感情に着いていけない身内・・・あれは不思議です。
多分人間の防衛本能なんでしょうけど、最初理解できないんですよね。「あれ〜最近会ってないな〜」って感じ。
だからいないのに「あの時こう文句言われたから、注意しよう」ってずっと続く感じ(笑)
そういった親父の過去の影響力も時間の経過と共に薄れ、その頃からようやく私は社長としての自覚が出てきたのかもしれません。
親父の七回忌での気づき
みなさんどうなんでしょうか?
私にとっては親父は良くも悪くも凄く偉大で、この世で怖いものは?って聞かれると真っ先に浮かぶのが親父でした。
でも勝手なモノで、それも時間の経過と共に薄れます。
仕事上での意識もさることながら、日頃は私も二児の親だったりしますので、過去を振り返るよりその子たちのために何ができるのか?と、ずっと未来を考えています。
今は存在しない親父を意識する時間も減っていきます。
私が結婚したのは親父が亡くなってからですから、当然私の子供たちは親父は知りませんし、子供たちもまた私の親父を知りません。
これも凄く不思議な感覚です。
でも残念ながら日常でそれを意識する瞬間ってほとんどないんですよね。
だからこそ法事に意味があるような気がしました。「子供たちも何か感じるんじゃないか?親父もここにいるんじゃないか?」
私は親父の考えや性格を知り尽くしてましたから、きっと喜んでいたであろうシーンを確信します。
親父の考えやお店の伝統、そういった歴史を一緒に歩んできた私だからこそ、それを伝える義務がある。
つまり継承ですね。
気づけば継承される側から、継承する側になった。
そんな気づきと共に、自分の意識のスイッチが切り替わった感覚は、これまた独特な感覚でした。
まとめ
私の祖父が言っていたようが気がするんですが「法事は、故人が人を集めるタイミング」と。
確かに故人を偲ぶ人が集まるまたとない機会が法事になります。
するとそれぞれの記憶からまた故人がリアルになりますし、また生前では聞けなかった、また言えなかった言葉も出てきます。
そんな一つの儀式を済ませ、なんとなく清々しい気持ちに包まれています。
日頃忙しく、なかなか振り返る時間のない現代人。
一度じっくり立ち止まって振り返り、故人を偲び、思い起こすことが、一番の供養になるのかもしれません。